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2月27日
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東京国立博物館で開催中の「長谷川等伯展」を観てきました。正直なところ、今まで「松林図屏風」と「楓図屏風」くらいしか記憶に残っておらず、

また、この二つの作品がとても同じ人が書いたとは思えない絵で、私は「楓図屏風」がどうにも好きになれないため、

私の中での長谷川等伯とは、勝手に「松林図」の作者のことになっていました。

 

今回の展示は長谷川等伯の画道がよく辿られていて、寺院の発注による多くの仏画を描いていた職人的絵師だったことを初めて知りました。

等伯が長い間寺院の絵師として、非常にカッチリとした絵を描いてきたことを理解したので、「松林図」からは想像もできなかった輪郭のクッキリした

数々の等伯(信春)の作風の作品を受け入れ、私の中の“等伯”という作家像を、頭の中で急速に組み直しつつ観ることになった展示会でした。

また、「松林図」の姉妹作といっていい、「月夜松林図」の存在も初めて知り、

作者不詳となっていましたが、あれは「松林図」を描いた絵描きの筆によるものでしょう。私は真筆じゃないかと思います。

 

ただ、北森鴻さんの「狐罠」(骨董収集の世界における贋作の話)を読んでいることの影響もあるかもしれませんが、

「等伯展」の、特に屏風の展示部屋をぐるりと見回して、「ここには一体何人の等伯がいるのだろうか」と感じてしまう面もありました。

印だのサインだの年代鑑定だの真筆を特定する基準についてはよく知らないのですが、

私は自分で絵を描き、何十人かの絵描きの知り合いの画風の変遷や200人以上の生徒さんの絵を見てきましたが、

ほぼすべての人に絵を描く時に現れる、その人独特の癖というものがあることを確信しています。

絵の形式や技法スタイルなどはどこかから影響を受けて急に変わることはよくあることですが、筆のストロークのリズムとか、画面密度の作り方とか

色の配色のパターンとか、根本的な感覚的造形要素の好みや(おそらく)腕の筋肉の使い方というのは、基本的にほとんど変わらないと思うのです。

それが「等伯展」の、特に屏風部屋にある作品は、形取りの癖もそれぞれ違い、リズムの作り方、密度の抑揚なども全然違っていました。

どれが本物の等伯による作品かわかりませんが、いくつかは間違いなく全く別な人が描いたものとしか、私には思えませんでした。

まぁ、そうしたものを含めて「等伯展」として展示を行うことは別に構わない(特に室町〜江戸初期の作品ではそうせざるを得ない)と思うのですが、

観る側も、真筆鑑定の曖昧さについての知識をもって展示会に臨んでいただき、それぞれの判断力を試してほしいという気がしました。